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日本を模倣したサムスン・ヒュンダイは日本に依存し、韓国経済を支える

 韓国を代表する2大企業のひとつ、サムスングループの19年度の売上は韓国GDPの約19・4%を占め、もうひとつの現代自グループは同じく11・5%を占めた。両社なしには韓国は成り立たないというわけだが、そこには2社が日本を模倣し、日本に依存する現実がある。サムスンのギャラクシー携帯は、中身の70~80%以上が日本メーカー製といわれている。昨年の日本製品不買運動でも、不買を言う前にギャラクシーを処分すべき、という声が出たほどだった。改めて、韓国の模倣文化を浮き彫りにする。


これまで、韓国が模倣した日本製品や日本の商標を取り上げてきたが、最大の模倣企業はサムスンかもしれない。


2019年、サムスン電子は半導体メーカー別売上高ランキングで米インテルに1位の座を明け渡したが、サムスンの半導体事業の8割を占めるメモリは世界市場で4割のシェアを持ち、ギャラクシーはスマートフォン市場で1位のシェアを誇る。韓国を代表する企業の半導体と家電事業は、日本を模倣してはじまった。


サムスンの創業は1938年に李秉喆(イ・ビョンチョル)氏が設立した三星商会である。李秉喆氏は早稲田大学を中退して友人と協同精米事業をはじめたが失敗し、三星商会を設立して魚や麻、木綿の販売を開始した。1951年には貿易会社の三星物産を設立した。


1953年に第一製糖、54年に第一毛織を設立し、60年代に入ると旧三越百貨店京城店から改称した新世界百貨店を傘下に加え、食品と衣服を中心に事業を展開した。


1969年から70年には、三洋電機やNECと合弁企業を設立して白物家電やテレビの販売を開始したが、家電のノウハウを持つことはほとんどなかった。


その李秉喆氏は1983年、半導体事業に進出すると宣言。主力事業は食品と衣料で、主要な役員は砂糖と繊維を得意としていたのに……。半導体は門外漢だが、韓国企業でトップの命令は絶対である。役員たちは諾々として受け入れるほかなかった。


手はじめに日本から半導体の輸入を開始し、1986年、砂糖で得た資金を背景に半導体工場の建設に着手。1977年に韓国半導体を買収していたが、ノウハウは皆無に近かった。


そこでサムスンは、東芝の半導体事業本部長をはじめとする幹部を建設中の工場に招待し、VIP扱いで歓待した。歓待には歓待で応えるのが礼儀である。


東芝は招待の見返りに、世界の最先端だった大分工場にサムスン側を迎えた。工場を見学する機会を得たサムスンは、工場をベンチマークし、さらに大分工場の幹部をヘッドハントして、大分工場と同等設備を持つ半導体工場を作り上げる。


東芝やマイクロンなど上位企業は主軸を収益性の高い次世代メモリに移していたが、サムスンは品薄状態が生じていた旧世代メモリに注力した。この選択が事業規模の拡大につながり、1993年にはDRAM市場で東芝を抜いて世界シェア1位に躍り出たのである。


半導体事業を主導した三男の李健煕(イ・ゴンヒ)氏は、グループの2代目会長に就任。長男の李孟熙(イ・メンヒ)氏が牽引していた砂糖事業は、1993年にサムスングループを離脱して第一製糖グループを結成。サムスンと法的な関係が終了した後、CJ財閥を編成した。


半導体で利益を得たサムスンは、家電にも本格的に進出した。日本はバブルが崩壊した直後で、多くの企業がリストラを進めていた。東芝、松下電器、三洋電機、シャープ、NECなど、大手家電メーカーのリストラにあった技術者を高給で迎え入れ、最新技術を得ていく。


いまでこそサムスンは、世界トップクラスの資金をR&D(研究開発)に注ぎ込んでいるが、韓国企業は通常、時間をかけてR&Dを行うことを好まず、1日でも早い成果を要求する。日本メーカー出身者を獲得しつつ、新たに開発するより実績ある日本メーカーの素材や部品を使うほうが早く結果を出しやすい。


だから、日本企業から素材や部品を購入し、必要なときに必要な分を購入するオンデマンドが求められる部材は、日本企業と合弁工場を建設していく。


不買を言う前にギャラクシーを処分すべきという声が出たほど


サムスンのギャラクシー携帯は中身の70~80%以上が日本メーカー製といわれている。昨年の日本製品不買運動でも、不買を言う前にギャラクシーを処分すべき、という声が出たほど、サムスンは日本に依存している。


サムスンの創業家は日本生活の経験者が多く、日本に太いパイプを持つ。創業者の李秉喆氏と2代目の李健煕会長は早稲田大学、サムスン電子現副会長の李在鎔(イ・ジェヨン)氏は慶應義塾大学大学院で学び、新世界百貨店の李明熙(イ・ミョンヒ)会長も日本で過ごした経験があるなど、日本と積極的にかかわってきた。


半導体で成功したサムスンは自動車産業にも進出。1994年に日産の技術支援を受けて、98年、日産・セフィーロと瓜二つの外観を持つSM5の販売にこぎつけた。しかし、アジア通貨危機の余波で、販売開始から1年半後の2000年に経営が破綻し、三星(サムスン)自動車は日産を買収したルノーの傘下に入った。


2005年に販売を開始した2代目SM5は日産・ティアナと似た外観で、11年に発売した3代目はルノー車がベースになったが、一部モデルは日産子会社のジヤトコ製エンジンを搭載しており、韓国車のなかで最も信頼性が高いとルノーサムスン自動車の営業社員は自慢する。


輸出車はルノー、韓国内はルノーサムスンのブランド名で販売しているが、2020年から順次、22年までにルノーブランドに統一される予定だ。


三菱の燃費水増しが発覚した2014年と前後し、現代も燃費水増しで訴えられ


韓国の小型商用車は、ワンボックスの「ダマス」と小型トラックの「ラボ」が市場を独占している。「ダマス」は小型商用車の一般名詞として通用するほど普及しているが、ダマスはスズキのエブリイ、ラボは同じくキャリイがベースである。


スズキは、米GMと提携を強めていた頃、GM子会社の大宇(テウ)自動車が製造販売する小型商用車の設計を依頼された。GMは中大型車が主流で、小型車のノウハウはなかった。エブリィとキャリイのフルモデルチェンジと時期が重なったスズキは、モデルチェンジ前のエブリイと新型キャリィの設計を焼き直してGMに提供し、1991年、大宇自動車は韓国版エブリイとキャリイの販売を開始した。


2代目エブリィと9代目キャリイは当時のデザインのまま、生産が続けられているので、かつてを知る日本人は懐かしさを覚えるかもしれない。


韓国自動車最大手の現代(ヒュンダイ)自動車グループで、外観が日本車に似ている車種に起亜自動車のレイがある。韓国の並行輸入車市場で日産・キューブが上位にランキングされたときに開発したモデルで、ダイハツ・タントとの類似性も指摘されている。


また、現代自グループの主要モデルはGDIエンジンを搭載している。三菱自動車が1996年から2007年に採用していたエンジンだ。公式には現代自動車は1999年に三菱自動車からGDIのライセンスを取得した後、自社開発のエンジンを搭載していることになっているが、三菱自動車の燃費水増しが発覚した2016年と前後して、現代自動車も燃費水増しで購入者から訴えられた。偶然とは思えない。


サムスングループの19年度の売上は、韓国GDPの約19・4%を占め、続く現代自グループは11・5%を占めた。


日本を模倣する2大企業は日本に依存し、韓国経済を支えている。

日本を模倣したサムスン・ヒュンダイは日本に依存し、韓国経済を支える 日本を模倣したサムスン・ヒュンダイは日本に依存し、韓国経済を支える Reviewed by RichKid on 8月 13, 2020 Rating: 5

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